流れる時間
3記事目になりました、シユウです。
今回は時間の「流れ」に着目します。
時間の流れは川の流れのようなもので、僕たちはそこに浮かんで流される葉っぱだ
これは時間の流れを説明するときによく使われる表現です。
美空ひばりもそう言ってます、たぶん。
時間には明確な流れがあり、流れていく方向がある。
それが「過去」だとか「未来」だとか言われる所以なんですが、じゃあその「方向の向き」ってわかりますか?
ここに二枚の図を用意しました。
人がボールを真上に投げた(鉛直投げ上げ)後の様子です。ポージングのクセが強いぃ!
さて、どちらの図のほうが先に起きた出来事なのかわかりますか?
ボールが手からあまり離れてない左の図のほうが先だ!
正解です。
左の図はボールがかなり落っこちてきているから右の図のほうが先だ!
正解です。
・・・つまり静止画を並べても時間の流れってわからないんですね。これは動画にしても同じことで「ボールが下から上に上がってまた下に戻ってくる」というのは逆再生しても同じことです。
その動画に違和感はあるでしょうがそれが「絶対にありえないこと」を含んでいない限りは問題はありません。
そう、時間の流れの向きって案外わかりにくいんです。
これをはっきりさせるためには「絶対にありえない」を証明するしかありません。
そこでこんな写真を用意しました。
アイスコーヒー100mlに牛乳100mlを加え、何もせずに数分放置しました。
どちらが先でどちらが後かわかりますか?
もちろん左のほうが先です。
牛乳がコーヒーに混ざりきってないのが見てわかります。
ボールの時みたいに逆の可能性はないのか?
混ざり切ったカフェオレがまた牛乳とコーヒーに分かれることはありません。
それはなぜか?
物質は時間の経過とともに、「かたよった状態」から「バラバラな(均衡な)状態」に変化し、その逆はないことが物理の世界では明らかになっているからです。
これを「エントロピーの増加」といいます。
このエントロピーの増加の方向こそが「未来」であり、減少の方向こそが「過去」なのです...
これが時間の考え方の基本のひとつになります。
算数の時間
こんにちは、シユウです。
前回の記事で時計の針が示すのが本当の時間ではないということをはなしました。詳しくはこちら↓
今回は時間の正体にせまるための第1回目として「算数」から目をつけることにしました。
これはどういうことかというと、小学校の算数の時間の中で
時間=距離/速さ
という公式を習った覚えがあると思います。
家に忘れ物をして家に取りに帰るたかし君やそんなことお構いなしに先に行ってしまう姉... どんな応用問題でもこの公式は絶対だったはずです。
これからわかることは何かというと、「距離と速さが定義されていれば、自然と時間も定義される」ということ。
言い換えると「時間はある一定の距離を一定の速度で移動し続けたときに、どれだけかかるかを表す目安」っていうことなんですね。
これって結構重要なことで、時間と動きはセットになってるんです。
動きがあるから時間がある
時間があるから動きがある
どっちも正しいです。
となると不思議に思うことはありませんか?全く動かない場合はどうなるの?
僕たちは割り算の分母に0を持ってきてはいけないことを知っています。
動きがなければ速さは0、時間は「距離/速さ」ですから0で割ってしまっています。
動かなければ時間は無限大に引き伸ばされてしまうのか?働かないものに明日は訪れないのか?なんて悪魔的なんだ・・・
これが「算数」の限界なんですね...
はじめまして。
みなさんはじめまして、シユウというものです。
突然ですが、あなたがもし子供から「時間ってなに?」って聞かれたらなんて答えますか?
そんなときは「時計の針が教えてくれるのが時間だよ。」と言ってみてもいいかもしれません。普通の子供なら「ふ~ん、そうなんだ」てなもんでしょう。
でも成長した僕たちは知っています。時計の針は進んだり遅れたりしていつも正しい時間を示しているわけではないと...
それなら電波時計は正確だという人がいるかもしれません。ですがバッテリーで動いている以上それがなくなれば針は止まります。時計の針が教えてくれるのが時間という説が正しいなら時間が止まっていることになります。現状そんなことで人間が時間停止はできないのでこれは間違いです。吸血鬼ならあるいは...
では時間とは何か?一緒に考えてみませんか?